沿革
天正十八年 (1590) |
九州北部を支配していた龍造寺隆信の子・政家が病弱のため、家臣の鍋島直茂(鍋島藩祖)に領地を譲り、太俣郷(現・佐賀県佐賀郡久保田町)に隠居。家臣の原田家も政家にしたがって移住。やがて武家の内職として酒饅頭などの菓子を作り、生計を立てる。久保田町)に隠居。家臣の原田家も政家にしたがって移住。やがて武家の内職として酒饅頭などの菓子を作り、生計を立てる。 |
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寛永七年 (1630) |
原田家が佐賀県佐賀郡久保田町に「松月堂」の屋号で本格的に丸ボーロ、カステラを中心としたお菓子屋を始める。 |
昭和二年 (1927) |
福岡県嘉穂郡飯塚町住吉の中央市場(現・飯塚市本町の永楽通商店街)入り口に松月堂の飯塚支店として「千鳥屋」を開店。千鳥饅頭、丸ボーロ、カステラの三品を専門に製造販売。 |
昭和二十年 (1945) |
太平洋戦争勃発に伴い六月 飯塚本店が強制疎開で壊され、飯塚川の対岸にある木造二階建てに転居。 八月十五日 終戦。 |
昭和二十一年 (1946) |
政府の統制により良い原料が入手困難な中、どうにか原料を手に入れ、質の落ちない千鳥饅頭、丸ボーロ、カステラを何とか作り続ける。 |
昭和二十四年 (1949) |
福岡市の新天町商店街に出店。福岡支店として、お菓子を売る。 |
昭和二十五年 (1950) |
砂糖やメリケン粉の統制が撤廃され、飯塚本店と福岡で本格的にお菓子の製造販売を再開する。 |
昭和二十七年 (1952) |
「千鳥饅頭」が横浜市で開かれた全国菓子大博覧会で名誉大賞牌を受賞。「銘菓」のお墨付きをいただく。 |
昭和二十九年 (1954) |
京都市での全国菓子大博覧会で、「カステラ」が名誉大賞牌を受け、名誉総裁の高松宮殿下に「千鳥饅頭」を献上。 |
昭和四十八年 (1973) |
大阪千鳥屋を開店。 |
平成三年 (1990)~ |
欧州の食品の国際品評組織「モンドセレクション」の菓子部門で「エアラインチョコレート(現アルペン)」が特別金賞を受賞。 6年連続受賞。 |
平成二十二年 (2010) |
3月19日新天町商店街にフランス菓子店「菓子処 典」OPEN |
平成二十九年 (2017) |
平尾店へ移転した「菓子処 典」を「Patisserie 一実」へ名称変更 |